法事にてお寺さんの説法がなかなか考えさせるものだったら共有してみた! の話

白米の独り言

はい、こんにちは!白米です。

ゴールデンウィーク中に奥様の実家の法事に出席してきました。法事とか、まじで久々でしたね。久々すぎて、数珠を忘れる…っていう凡ミスをしてしまいました。

今まで、奥様の実家の法事ってあまり出席してなかったんですよね。自分ちの法事も逃げたい行事なのに…。自分ちは関西に墓があるので、そう簡単には法事を開きません。お墓参りも年1ですね。コロナ時期に入ってからは、行ってません。

そんな中、奥様のご実家で義父の50回忌が開かれました。ゴールデンウィークで、何もない。釣りしかしていないので、ポイントは稼ぎたい!

そんな気持ちで参加した法事ですが、色々驚いたことがあるんですよね。そして、最後に住職から有難い説法で締めくくられるわけですが、この説法にすごく違和感を感じたんです。言いたいことはわからるけど、よく分からない。

調べると少し違和感が抜けたました。「そういう考え方もあるのか?!」と面白く思い、共有したくなったので、今日はそんな話です。

では、はじまり!

経緯

経緯

先程も申し上げた通り、あまり法事に参加して来なかった白米です。最初に言われたのは、今回もこないでしょ?でした。でも、今回はお義父さんの50回忌。節目ですよね。お義父さんは、奥様が小さい時にお亡くなりになっております。

実は、結婚してから一度もお義父さんのお墓に参っていないことを思い出しまして…。罪悪感…。お義母さんからは、「山の上なんだから別にいかなくてもいいのよ。」という言葉を頂き、毎度毎度甘えていました。普通結婚するときに行くよね?!挨拶としてさ。

この休み期間、釣りしかしていないので、少しは役に立って、ポイントを稼いでおきたい。。。

ということで、法事に参加しました。

体験できたこと

白米は、無宗教者です。宗教自体は、都合のいい時と行事ごとの時に思い出す程度です。ま、どの日本人もだいたいがこういう状態なのではないでしょうか?!

ただ、最近の若い子は自分の家の宗派も知らないんですよね。(おじさん💦いや、おじいちゃんか?!)歴史の授業をやるのに、講師と話していると自分ちの家の葬式が何宗で行われているか知らないんですよね。

日本の歴史と仏教は大きく関わりがありますからww

奥様のご実家は、真言宗でした。白米家の墓は、浄土真宗なので、他家の法事の流儀って、宗派によって大きく異なることを体験しました。

白米家の父方も母方も浄土真宗です。地域の違いからか、流派はまた変わるそうです。ただ、両家ともに住職が家に来て、お経をあげてくれます。今回初めてお寺さんに行き、本堂でお経を聞きました。

本堂ってあんまり行ったことがないので、興味津々。法事に行ってるはずが、キョロキョロしてしてしまいました。奥に大きな大日如来像があったり、壁には恵果と空海の肖像画があったり…。

お香の匂いも違うんですね。お寺さんにあがって、一番最初の驚きです。

今回のお寺さんでは、木魚がありませんでした。その代わり、鐘とシンバルのようなもので音を鳴らしていました。白米家の父方は木魚だけ。母方には、ドラがあります。お経を読むグッズにも違いがあるるのか?!と興味深々。

同じ仏教でも宗派が違うことでここまで変わるものか。と感心させられました。こういう経験って社会の歴史の授業をした時に話せるネタになるんですよね。もうしないけどさ。。。

そりゃ、最澄と空海は意見の食い違いから喧嘩し、絶縁状態にまでなるわな。と白米は感じました。宗派、流派によって、それぐらい違うんですよね。

お寺さんの説法

説法

故人50回忌お疲れ様でした。

50回忌に立ち会うことは、滅多にないことです。変わらずに感謝の心を大切にできるのは、素晴らしことです。

世の中は、諸行無常と申します。諸行無常とは、すなわち「変化」でございます。めまぐるしく変化していく中で、こうして50回忌の法要を変わらずできたことは、素晴らしいことなんです。

今戦争が起きています。毎日ニュースで悲惨さを映像として映し出されています。そしてキャスターの方々が戦争終結を願っておられるのですが、その席に座っているキャスターの人々も戦争を起こす可能性があると知っておいてほしいのです。

人には『煩悩』があります。その『煩悩』がある限り、戦争が起こるのです。『煩悩』とは、人の欲望そのものであり、『煩悩』があるから、つらいことが起こる。

欲望が強ければ強くなるほど、『煩悩』が増えていきます。そして、増えれば増えるほど、生きるつらさが増えていくのです。仏教では、その『煩悩』を減らすことで、生きやすくなると考えています。

ただ、修行をしていない皆さんに『煩悩』を減らすことは難しい。だから『煩悩』とうまく付き合う必要があるのです。『煩悩』とはコントロールできないものです。そして『他人』もコントロールできません。他人をコントロールしようとする欲求が生み出すものが負の感情になるのです。

負の感情は、良くない結果を生み出します。誰しもが持っているものです。最終的に発展したものが、戦争という行動になるのです。

『アンガーマネージメント』と申しまして、何かが起こった時に、6秒間『煩悩』を断つことで、いきなり衝突することはなくなるというものです。『アンガーマネージメント』をうまく活用して、『煩悩』とうまく付き合い、諸行無常を乗り越えましょう。

ご静聴ありがとうございました。

以上が住職の言葉です。

本当はもっと長いんですよ。30分ぐらいゆっくり言葉を選びながらお話をされていました。

解説

難しい言葉がいくつかでてきたので、まずは解説。

諸行無常

諸行無常

この世の万物は常に変化して、ほんのしばらくもとどまるものはないこと。人生の無常をいう仏教の根本的な考え。▽仏教語。「諸行」は因縁によって生じた、この世の一切の事物。

goo国語辞典より抜粋

有名なところだと平家物語の冒頭の一説で有名な言葉ですよね。

(原文)祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。
(訳)祇園精舎の鐘の音は、諸行無常の響きがある。沙羅双樹の花の色は、盛んな者も必ず衰えるという物事の道理を示している。おごり高ぶっている人(の栄華)も長く続くものではなく、まるで(覚めやすいと言われている)春の夜の夢のようである。勢いが盛んな者も結局は滅亡してしまう、まったく風の前の塵と同じである。

中学の時に覚えましたよね?!大人になっても言える人が多いのではないでしょうか。平清盛には色々な逸話が多く、興味深い人物ではあります。諸行無常も言葉としては知っていましたが、実際使っている人から直接聞くとイメージが違うんもんだと感じました。

煩悩

煩悩

煩悩(ぼんのう)とは、「身心を悩まし煩わせる心のはたらき」を意味する仏教の用語。迷いや苦しみの原因となる心のけがれ。典型的には「貪(とん)瞋(しん)癡(ち)の《三毒》」など。通俗的には、とりわけ「物欲」および「性欲」を指す意味で用いられることが多い。

weblio国語辞典より抜粋

仏教では「貪」「瞋」「癡」の3種を煩悩の根本・人間の苦しみの根源と位置づける。これは仏陀が説き、後代でも踏襲されている。貪(とん)は貪欲さのことであり、瞋(しん)は怒りや憎しみ、癡(ち)は無知・無明のことである。総称して「三毒」という。

煩悩の種類・区分あるいは総数などは、宗派・学派などによっても異なる。とはいえ、煩悩は自己愛(我執)に起因する心の迷いであり、これを乗り越えることが心の安らぎを得る方法に他ならない、という基本的な位置づけは揺らがない。

weblio国語辞典より抜粋

仏教用語ですが、難しい言葉です。「瞋」や「癡」は字としても見慣れない言葉ですよね。

アンガーマネージメント

アンガーマネージメント

怒りを予防し制御するための心理療法プログラムであり、怒りを上手く分散させることができると評価されている。怒りはしばしばフラストレーションの結果であり、また自分にとって大事なものを遮断されたり妨害された時の感情でもある。怒りはまた、根底にある恐れや脆弱感に対する防衛機制でもある。アンガーマネジメント・プログラムでは、怒りは定義可能な理由によって生じる、論理的に分析可能な強い感情であり、適切な場合には前向きにとらえてよいものだと考えられている。

ウィキペディア(Wikipedia)より抜粋

アンガーマネージメントには、6秒ルールというものがあります。

怒りの対処術に共通するのは、「怒りに反射しないこと」。そのため、自分の怒りを感じたら、まず6秒待って怒りを静めましょう。怒りは完全にはなくなりませんが、幾分か理性的になることができます。6秒数えるとき、「1…2…3…」とカウントするだけでは効果がない場合、「怒らなくても大丈夫」など、気持ちを落ち着けるための言葉を心の中で繰り返すと良いでしょう。

LIKE U HPアンガーマネジメントとは?「6秒ルール」などの意味や、診断方法を解説より抜粋

だそうです。名前は知ってはいましたが、調べるとこの分野もなかなか面白い!

白米が感じたこと

諸行無常=変化

諸行無常を変化と呼ぶ違和感を感じました。しかし、言われて初めて納得でした。

確かに移り変わりゆく時の流れを諸行無常と呼ぶし、それを意味するところは、『変化』です。

住職曰く、その変化を生き抜く知恵として、『煩悩』を滅することで心穏やかに生きることを推奨されました。

しかし!しかしですよ。欲求があるからこそ前に進む活力となると白米は思うのです。仏教的には、『煩悩』を捨て、解脱することにより新しい世界が開かれるとされていますが、この部分に関しては疑問が残ります。

ただ、絶えず変化していく世の中を心穏やかに過ごす術があるのは良いことですよね、そのためには、自分がどういう状態かを心穏やかな状態と呼ぶのか?!それを知る必要がありますよね。ただその心穏やかな状態が、主観ではダメだと思うんです。

他人から見ても心穏やかではないと、周りが心穏やかにならない。。。

ということは、周りの人までも巻き込む「心穏やか」を探さないとダメですね。そしてその状態を維持しないと諸行無常になってしまいますよね。

ん~、難しい。

住職の口からアンガーマネージメントって…

「住職」という職業の人から、横文字が展開されるとは思わなかったので、びっくりしましたww

他人をコントロールしようとして、できないから怒る。そして、負の感情で人を縛ろうとする。そうならない為にも、アンガーマネージメントをしましょう!と住職は言いました。

怒りでは何も解決しません。恐怖で人を縛ることはできても、縛られた人は心穏やかではありませんよね。そして、その状態では、最高のパフォーマンスは発揮されない。

アンガーマネージメントって名前をしっていたけど、あまり内容を理解していなかったんですよね。ちゃんと理解するために勉強しようと思いました。インプットが終わったら、アウトプットの一環として、記事にするので、その時まで楽しみにしていてください。

まとめ

法事はたまに出てみると面白い発見があるもんだ!毎回はちょっと面倒ですよね…。

でも、住職の良い話を聞くことができて有意義でした。また、仏教の宗派の違いにより、お経や小道具?!など様々な部分で違いがあり、面白いと感じました。

ポイントを稼げたと思って、また釣りに行きたいと思います。

では、また。

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