はじめまして!元塾長の白米です。
「現場」に長いこと従事させてもらい、様々な方々と出会うことで得た知識が、皆さんの今知りたいこと、今悩んでいることの解決の一助となり、皆様の人生が少しでもハッピーになったらと思い、ブログをはじめます。
特に、伝えたい方々は、
- 子どものことで悩んでいる親御さん
- これからの将来に悩んでいる学生さん
- 「成果」に伸び悩んでいる新人君、新人ちゃん
- チーム作りに悩んでいる方
です。面談で話をして思うことは、「悩み」ってどの世代でも沢山あるんだな~…っと。
簡単なことから難しいことまで。その「悩み」が解消されたら、笑顔が生まれるんですよね。
その笑顔が本当に素敵なんです。
でも、どこの馬(豚の間違い?!)の骨の話なんて、信用できないと思いますので、まずは僕の自己紹介からはじます。
そして、これから皆様に伝えていきたいこと、僕の想い、何を目指しているのかを綴ります。
では、はじまり!
白米とは
白米は、現在6人(3人+3匹)家族です。
人間は、世界素敵な最強の奥さんと我儘だけど優しい娘ちゃん。
猫は、小雪君、琥珀君、茶々ちゃん。こちらは、紹介ページがあるので、よかったら見てみてください。
【猫のいる生活】白米の「癒し」はこの子たちの存在です。自分ちの猫が世界一かわいい!のは間違いない!! – 元塾長の白米 (motojukuchou-no-hakumai.com)
白米の趣味は「釣り」です。現在趣味と実益を兼ねて「釣り」をしています。
ライトゲームという手軽にできる釣りをやっていて、その様子は毎回記事になっているので、チェックしてみてください。
釣りばっかして…。と友人たちに呆れられていますが、好きなんもん。しょうがないよね。
リグデザインというメーカーさんと契約しており、フィールドモニターをやらせてもらっております。
白米の経歴
学生編
高校時代
昔から思ったことを口に出してしまう性格でした。今でも出してしまいます。。。
私立中高一貫に通い、のほほんと育ちました。
途中New Zealandに1年留学し、同じ学年の友人と1年遅れて卒業しました。
留学の時にできた友人の一言でその性格が決まった気がします。
「はっきり言わんと、伝わらへん!オブラートに包んで逃げんなや!!」
これですよ。大阪出身のヤンキーの女の子と喧嘩し、言われてハッ!( ゚Д゚)とした一言でした。
どんなに弁解しても、謝っても相手に伝わらないと、言葉って意味ないんだ…って気づきました。
そこから、相手に自分の気持ちをどう伝えるか、どう伝わっているか、を考え始めました。
その女の子とは焼き飯を奢ることで謝罪が伝わり、仲直りすることができました。
言葉って…
大学時代
高校を卒業し、無事大学に入り、バイトに明け暮れました。
今思うと、あの時もっと勉強しておけば…なんて考えるんですが…。
そのバイトは、かかってくる電話の応対で、なんせ時給がいい!すごく忙しいわけでもない!
座って電話を待つ、かかってきたら応対をする、履歴を残す、というバイトでしたが、白米少年は不真面目でした。
履歴の残し方が雑で、よく叱られていました。
その叱ってくれていた上司に当たる人が、僕の奥さんです。(だから、今も頭はあがらない。。。)
そんな奥さんに仕事を教えてもらっていたのですが、履歴の残し方やメモの取り方を教わりました。
今でもその時に教わった癖は続けています。
ただ、不真面目な私は、「仕事」をなめてました。
楽な仕事でお金をもらえることを覚え、遊びまくってたわけですから、「仕事」を勘違いしていました。時間はあるから、仕事に入る。
シフトを融通してくれる便利なバイト君のポジションで「仕事」をしていました。だめですね…。
新卒時代
掃除って難しい!
新卒で入社した会社は、車のディーラーでした。
すぐに内定をくれたところに飛びつきました。車が好きだったこと、人と話すことが好きだったことで入社を決めました。ただ、職場は甘くない…。
朝出社して始めることは「掃除」でした。
新人の仕事として先輩社員が来るまでに終わらせるように命じられました。先輩の出社時間は8時半。それまでに10台の洗車と事務所、トイレ、ショーフロアの掃除をしなければいけだません。
だんだんと効率という名のさぼりを覚え、雑になる部分を上長に目をつけられ、怒られました。
「鏡は、お客様のそのままの姿を映すものなんだ!拭き残しがあるなんてありえない」
まさにその通り!車を買う際に最後、トイレに行き、買うかどうするかを決心する方はいらっしゃいます。その際に鏡で自分を見て、決心しようと思った時に汚れがあったら、決心が鈍ります。
細かいところに気を遣うことを覚えた瞬間でした。当時の上長は、本当にお客様想いの良い方でした。プロフェッショナルな方でした。
でも、もう少し労わってほしかった…。
こっちは朝5時半から掃除してやってんだから。。。因みに夜は21時までは通常業務、それ以降は6人の先輩のチラシ作り、帰る際に自分のチラシを撒いて帰る、というスケジュール。
先輩のチラシは各自独自の注文をされるので、自分でやって!と思っていました。
だいたい全部終わるのが明け方3時。営業手当500円で残業し放題!そんな生活を半年続けていました。
年末になり、嫌気がさしてきたときに、売れていない先輩の給料明細が机に置きっぱなしになっているのを発見!見てしまいました。(先輩、すいません)
お世辞にも器用ではなかったけれど、一生懸命やっていた1つ上の先輩。
給料天引きの車代などを差し引かれ、手取り35,000円。実家暮らしで弁当持ってきてた!理由が判明。。。
辞める決意をしました。
もし来年自分が売れなくなったら、こうなる。。。
来年新卒が配属されなかったら、ずっと早起きからの掃除。。。心が折れる瞬間でした。やる気より恐怖が勝ちました。
給料についてあまり考えなかったんですよね。
でも明らかにおかしい労働時間と、足りてない睡眠時間。仕事をして楽しい思い出よりも、起きなきゃ…って思い出が強い1年でした。
靴屋時代 勝って奢らず、負けて腐らず。
副店長との出会い
無事車屋を退職をし、休養もかねて少しぶらぶらしようと思っていたのですが、じっとしていられなくなり、1週間でバイトを始めました。
人と話すことが好き、販売が好き、ということから小売り業界へ。
靴やファッションは学生時代から好きだったので、靴屋で働きました。
2か月経ち、そのまま社員に。
奥様と同棲も始めたのもこの時でした。
同棲の理由は、忙しかったから。。。シフト制だったのですが、本当に忙しかった。
15連勤当たり前の世界でした。最高28連勤です。今では考えられません。。。
でも、車屋にいた時のしんどさから比べたら、家でゆっくりできるのは嬉しかったのは覚えています。家に帰れば、大好きな彼女がいる喜び。ありがたかったですね。
そんな時に副店長が変わり、変わった方が異動してきました。
「池袋地区の最後の武闘派」と呼ばれる副店長です。
運命の出会いでした。かっこいい大人に会えました。今でも連絡をとるんですが、いつまでも変わりない方です。その副店長は私に色々な言葉を残してくれました。
・1位と勝ちに拘れ!
・勝って奢らず、負けて腐らず。
・予算を取れない豚は、ただの豚だ!
・上は倒すものだ!上がいなくならないと出世はできない。
・使われる「いい人」になるな。「いい人」は「どうでもいい人の略だ」
などなど。コンプライアンスなんて言葉は当時ありません。
言いたい放題、やりたい放題でした。
でも、副店長は「漢」でしたね。闘うことを教えてくれました。
過激な方なので、周りからは敬遠されてましたが、「売り上げ」に一途な方でした。
2年間教わりましたが、あっという間でした。
そんな副店長には日課がありました。
22時半に店が終わます。まずコンビニに行き、駅前の広場で乾杯をする。
白米は下戸なので、ジュースですが、副店長は必ずロング缶のビールを2本買います。
終電まで今日の反省会が始まります。そこで色々なことを教わりました。
酔っぱらって同じ話をしだすのが本当に面倒で…
店長として奮闘
時は過ぎ、当時彼女であった奥さんとそのまま結婚し、子どもを授かりました。
キャリアとしては店長を任されました。先述した副店長の言葉を持って、予算に挑みました。
店舗経営のために2つのことを意識していました。
・接客レベルの向上
・チームで予算を取る
センター南にある港北東急の休憩室に書かれている標語が本当に素敵なんです。相当昔のことなので、今はないかもしれませんが、当時張ってありました。
「目配り 気配り 心配り」
接客ってこれに尽きると思っています。お客様が何が欲しいのかを探り、良いタイミングで声かけをする。お客様に商品の値段以上の喜びを持って帰ってもらいたい!
「お客様が喜ぶこと=売り上げUP!」
私が店長になり、自分の部下に最初に求めることでした。
どうやったらお客様が笑顔になるかを考えよう。
理解が早い人と遅い人の違いは「お客様」という言葉の重みを理解しているかどうかでした。
遅い人の特徴は、仕事を靴を運ぶことだと思っている人だということ。早い人は靴と幸せを一緒に運ぶ人。
大きな違いがあります。
でも動作は一緒なんですよね。それに気づくまで相当時間を使いました。
お店の予算は一人では取れません。スタッフ全員で取りにいくものです。
その中で雑用をしたり、事務をしたりとする場合があります。その能力に長けた部下にお願いをするのですが、あまり頼みすぎるとその人の売り上げが下がってしまいます。
販売する時間が減るためです。そのままにすると、不満が溜まります。
負のスパイラルの始まりですね。
お客様に対してではなく、部下にも「心配り」をする必要があります。「人」に対してどう接するかをよく考えた時期でした。
接客以外で活躍してくれる人がいること、そのことをフロアーに残っている他のスタッフがどう感じているかも重要でした。
皆で同じ仕事をすることよりも、できる人がやった方が効率はいいのです。
でも、販売員は売れる方が満足度が高い生き物です。個人成績の集合体が全体成績に繋がるのですから、チームで動くことの重要性はスタッフには強く求めました。
その中で「気持ち」も一緒に大切にして欲しいと。
自分が気持ちよく販売している裏では、重い荷物を持ち、在庫を整理している人がいる。
売るために商品を他店舗から集約している人がいる。
そこに敬意をもって、お客様に商品と笑顔を届けて欲しい。
そして、毎月の売り上げが予算を上回り、店舗として、チームとして成功していこう!と全員と話をしました。
白米教育への芽生え
また転職へ
娘が大きくなり始めた時に、労務の考え方が靴屋にも入ってきました!週2回お休みがもらえるようになり、娘の幼稚園のお迎えや授業参観などに参加するようになり始めました。
そこで思ったんだよね。
「子どもの成長スピードって速くて、おもしろい!」
と。娘の成長スピードをみて感心するパパさんです。
仕事にかまかけて、禄に子育てに参加してないくせに。。。
娘が小学生になり、運動会で披露されるダンスをみて、感動していました。
そこには努力があり、ママに文句をいいながらも諦めない娘の姿がありました。
それを見て、教育業界に入る決意をしました。
しかし、私は先述した通り不真面目なボンクラ大学生だったので、教員免許を持っていません。
教育業界に入る前に挫折しかけました。
弟に相談したところ、「塾の先生」って手があるよ、と言われ転職サイトに登録しました。
一次面接で言われたことは、「生徒の成績をマネージメントしてほしい」ということでした。
それなら数字を管理することと部下を管理することを足して、2で割ればいいのか?!と思ったたら、できそう!となっていました。
塾の先生って教えることが専門だと思っていました。自分にそんなことはできないと思っていました。
自分にできることは、接客とマネージメントぐらい…
でもありましたよ。悩みながら面接に行った時に衝撃が走りました。
二次面接では社内取締役員の方と話をしたのですが、これまた衝撃でした。
自分のプロフィールを話し始めて5分ほどしたら、「もういいよ」と言われました。
続けて「あなたは採用だから、今事業部が置かれている状況を話しておきたいんだよね」と。
まだ入社していないおっさんに事業部の状況を説明してくれました。その時も同じく思ったんです。
今までやってきたことがこの会社なら生かせる!
入社させていただきました。
そして塾長へ
塾という業態をあまり理解していない状態で参入しました。色々慣れないことが多かったです。
・有形サービスと無形サービスの違い
・自分以外が頑張って成果を出すこと
・カスタマーとユーザーが違うこと
1年目は特に学ぶことが多かった。。。でも、生徒さんたちが頑張る姿や、達成した時の喜び、親の愛、などなど色々なことに触れて学ばせてもらいました。半年で異例の塾長に抜擢されました。
塾業態は意識しないといけないことは4つでした。
・生徒さんの状態
・保護者さんの状態
・講師とのチームビルディング
・月の収支
この4つです。
一番難しいのは生徒さんの状態の見極めでした。どういう状態で塾にきているのか、がやはり一番気になるところでした。
子どもたちにとって、塾って面倒な場所だと思うんです。
勉強が大好きな子だったら苦でもないと思うのですが、大体の子はそんな風にはみえません。
でも、楽しんで勉強してもらえば、成績が上がると思っていたので、楽しい塾作りに奔走しました。楽しく成績を上げる空間とそれを支えるスタッフ作りに励む毎日でした。
生徒さんたちには、自分が頑張ることで周りの人々がハッピーになれることを知ってもらいたかったんです。
例えば、宿題をやる→講師が喜ぶ→成績が上がる→保護者も喜ぶ。
というように、自分が頑張ることで周りの人々がそれを祝福できる。
これは私の持論ですが、
・人は明るいところに集まる。
・人は人を呼ぶ。
そういう人の輪で靴屋の時もやってきました。人の輪で繋がる教室って、なんだか暖かい空間だと思っています。
ドクターストップ…
塾長をやり、6年半超えたところで体に異変が起きました。
喉がめちゃくちゃ乾く、汗が止まらない。。。体重が一気に減りました。
元々太っていたおっさんとしては、嬉しくなったんですが、明らかに何か病気をしてるんだろうなぁと思っていました。
が、その程度の認識だったので、健康診断の再検査も行かず、そのままにしてしまいました。
そして、半年が経ち、再度健康診断に行きました。再検査の通知が来ており、周りからの勧めもあって再検査に行くと…
糖尿病になっていました。
ヘモグロビンの数値と脂質の数値が異常値でした。
病院の先生には、「即入院してください。」と言われ…ドクターストップがかかってしまいました。
生活習慣が異常に悪いことが祟りましたね。
塾業界は昼から夜中までの仕事ですので、家に帰るのが大体25時ぐらいになります。そこから夜ご飯を食べ、猫と遊んで寝る、という生活をしているのが良くなかった…。
私は、朝が苦手なので、ぎりぎりまで寝ていました。朝ごはんを食べず、出勤していました。
また、休憩をあまり取らないことで、昼ご飯も食べないことも多かったです。
当然お腹は減るので、夜中にドカッと食べるわけです。塾業界は基本的にデスクワークです。運動はしません。
飢餓状態と体は認識すると、糖は脂肪として貯蓄します。そして塾長の脂肪は燃焼されませんから、そのまま貯蓄し続けていくわけです。
そうすると、ヘモグロビンの数値が異常に高くなっていきます。
幸い、併発する病気もなかったのです。ただ、療養しながら塾を続けることが非常に難しいわけです。その状態で迷惑をかけるならば…ということで退職しました。
急なことだったので、生徒にもっといろいろ伝えたいことがあったのですが、それも叶わなくなりました。
これからやりたいこと
もっと色々伝えたい!
本来ならもっと携われた生徒さんや、卒業生、保護者様のために少ない知識でも役に立つことがしたい。
でも発信手段が思い浮かばない。
そんな時に元同僚がブログを始めてみたら?ということでブログを勉強し始めました。
ブログが広まり、卒業生が見てくれて、自分の可能性が少しでも広がってくれたら嬉しいです。
その時に白米だと分からなくてもいいんです。その人が困っているのが読んで少しでも心が軽くなり、次に向かう活力の手助けができたら!と考えています。
私のことをもっと知ってもらう!
私の趣味や、家族の猫のこと、様々なことを書いていこうと思っています。
少しでも皆さんのお役に立てるように頑張ります!
言葉に想いを載せ、信用を積み重ね、信頼してもらえる人間になりたい。
私の言葉で誰かを救えるのであれば、様々な言葉を投げます。そしてこの想いが届くことを信じて。
これから宜しくお願いします。